展示概要
展示期間:5/1(水)~5/6(木)
展示内容:作品(印刷)18点、関連書籍
時間・入場料:ミルキーウェイ営業と同様
朗読緊縛物語
開催日:5/2(土)
時 間:18:00 開場 19:00 開演
演 目:「明烏夢泡雪~雪責めの場~』より
出 演:ゼータ&華 朗読:Jun
入店チャージ 男性4,000円 女性2,000円
イベントチャージ 1,000円
ご予約いただいた方には伊藤晴雨の特別ポストカードをプレゼントいたします!


伊藤晴雨(本名:伊藤一)略歴
1882年 0歳 3月3日、浅草にて誕生。父親は三百石の旗本の子で、没落し彫金師を生業としていた。母親は丹南藩の元家老の娘。その長男として生まれる。叔父には北斎最後の弟子がいた。
1887年 5歳 龍の絵を描き、読経を行う姿を見た増上寺の大僧正が、その見事さに「是非僧侶にするように」と父に申し出たといわれている。
1888年 7歳 琳派❲※1❳の絵師である野沢提雨に半年ほど師事。この頃、女生徒が先生に黒板拭きを投げつけられて泣き伏した瞬間、櫛が机の上へ落ちて、前髪がパッと乱れたのに、心を乱す。
1891年 10歳 尋常2年で退学。6月10日、母に連れられ初めての本所・寿座で芝居を見る。この「吉田御殿招振袖」の責め場を見たことが、責めの研究に生涯をかける契機となる。
1894年 13歳 父が彫金師だったために本所相生町の象牙彫刻師・内藤静宗の家へ10年年期の丁稚奉公へ遣られる。彫り物になじまず、絵ばかり描いていた。
1905年 24歳 半年の年期を残して主家を飛び出し実家をも出る。芝居小屋の絵看板などを描きながら、遊びに耽っていた。
1906年 25歳 この頃から新聞社に勤め、挿絵や評論を書く。
1909年 28歳 包茎手術を行ない、竹尾という女性と一度目の結婚をする。(それまでは童貞だった。)この頃挿絵画家としての地位が固まり、多くの執筆依頼が寄せられるも収入のほとんどは遊びに費やしていた。このころから亡くなるまで駒込動坂町(現・千駄木5)に暮らす。
1917年 36歳 佐々木兼代(のちのお葉)を縛りのモデルとする。
1918年 37歳 画号を静雨から「晴雨」へと改める。
1919年 38歳 お葉は竹久夢二のもとへ去る。最初の妻・竹尾と離婚し、モデル・佐原キセを二番目の妻とする。妻の妹と三人で同居し、本格的に責めの研究へ向かう。キセが臨月の時、逆さ吊りにして撮影した。
1921年 40歳 サンデー毎日に晴雨をとりあげた「責めの姿態肌と快美感の研究」の記事が出る。戯曲家・鈴木泉三郎による晴雨の淫蕩生活を題材にした「火あぶり」が「早稲田文学」10月号へ発表される。
1923年 42歳 2月、キセをモデルにした雪責めの実験写真撮影。9月、関東大震災により関係していた3つの新聞社と演芸方面の仕事が全滅し、生活窮貧。
1924年 43歳 新国劇・沢田正二郎に助けられ、看板や舞台装置の職を手にする。5月、読売新聞に「三十年間『責め』の研究に没頭」の記事が出る。
1925年 44歳 キセが早稲田出身の文士の卵と姦通し、離別。
1926年 45歳 とし子を三番目の妻とし、多くの雪責めの写真を撮る。大正末期から昭和初期にかけてのエログロナンセンス文化の一面を代表する性風俗研究家・梅原北明が「変態資料」4号に妊婦逆さ吊り写真を無断掲載。
1927年 46歳 江戸の風俗を書した『いろは引 江戸と東京 風俗野史 巻の一』を自費出版で刊行。❲※2❳
1928年 47歳 『責の研究』刊行、発禁。
1929年 48歳 ガリ版で『責の話』刊行。
1930年 49歳 石版の艶本❲※3❳『論語通解』50部刊行、発禁。この件で警視庁と巣鴨刑務所に10日ずつ拘留。留置所内で、新国劇の舞台装置を手掛け、新聞に出て評判になる。罰金30円の略式命令により出所。11月、『世界の刑罰・性犯・変態の研究』刊行。
1931年 50歳 晴雨旅行中にキセが発狂し、闘病生活を送る。のちに晴雨の本を多く刊行する伊藤竹酔(敬次郎)と出会う。
1932年 51歳 『美人乱舞』刊行(粋古堂)。
1933年 52歳 キセが闘病生活3年で逝去。小劇団に背景・カツラを提供し、自らも「実説番町皿屋敷」などを脚色し、女性の責め場を主にした劇団をおこす。連日満員の盛況であったが、財政困難に陥り、1年で離れる。
1945年 64歳 東京大空襲により、心血を注いだ長年の画稿や資料を含む、家財すべてを失う。
1948年 67歳 『日本刑罰風俗図史 上 』刊行。❲※4❳
1950年 69歳 『責の研究』刊行(私家版、ガリ版)。
1951年 70歳 小説家、性風俗研究家・高橋鐵と親交を深める。この頃から、日本初のSM雑誌「奇譚クラブ」発行者・喜多玲子(須磨利之)と文通。『責めのこれくしよん』『黒縄記』(私家版)、『晴雨随筆①責の四十八手』『晴雨随筆②絵物語皿皿郷談』刊行。
1952年 71歳 『美人十二支責め絵巻』、『晴雨随筆③危機一髪画譜』『晴雨随筆④与カ同心岡ッ引』『晴雨随筆⑤性犯罪と私刑』、『責の話』(新版・粋古堂)、『十二月行事奇態刑罰図譜』刊行。
1954年 73歳 「江戸川乱歩還暦祝賀会」に出席。『新版 美人乱舞』刊行。
1960年 79歳 「出版美術連盟」から挿絵画家としての長年の功績に対し出版美術連盟賞を受賞。
1961年 80歳 1月28日の朝、自宅にて逝去。戒名・瑞光院梅岳晴雨居士。墓所、上野・寛永寺(谷中墓地)。
❲注釈❳
※1 江戸初期の俵屋(たわらや)宗達が創始、中期の尾形(おがた)光琳が大成したもので、彼らと関係の深い本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)、尾形乾山(けんざん)らの工芸を含めて扱う場合もある。幕府や宮廷の御用絵師ではなく、また世襲の制度をもたず、主として私淑・影響関係によって画系が成立している。日本の美術の伝統に存する装飾美・意匠美を近世の新しい感覚で追求し、その芸術は公卿(くぎょう)、大名、町衆(町人)の諸層に受け入れられて発展を遂げ、また近代の日本画・工芸意匠の世界にも少なからぬ影響を与えている。
※2 全12冊の予定中、2巻(1930年)から6巻(1932年)まで発行。
※3 男女の性交渉を絵や文章で表現した本。 ※4 中巻(1949年)、下巻(1951年)を刊行。